紛失する記憶の中に見える確かな思い [日常に隠れる残酷さ]
じぶんのアタまがぶんれツしていくようなイめージ
ぐぅウぅーっとおトをタテてはなレていく
ラばー ジょにーノヨうにあたマがグニゃグにャで
かケらがはなレてはくっツイて
ヘっどフぉンをツけておンガくをあたマになガしコンで
やっトつナぎあわサレている
ぼクニとッてノおんがクはかラダのしンのようなもノ
ないトボくはタぶンぐチゃグちャにブンれツすルンジゃなイカな
ぐぅウぅーっとおトをタテてはなレていく
ラばー ジょにーノヨうにあたマがグニゃグにャで
かケらがはなレてはくっツイて
ヘっどフぉンをツけておンガくをあたマになガしコンで
やっトつナぎあわサレている
ぼクニとッてノおんがクはかラダのしンのようなもノ
ないトボくはタぶンぐチゃグちャにブンれツすルンジゃなイカな
争いの種 [日常に隠れる残酷さ]
被写体の捉え様によっては活き活きとした様子を写し出す事も出来るが
忘れ去られた、もしくは死んでしまった。などといった様子を写し出す事も出来る。
これもまた、人自身の捉え方にも同様にあてはめる事が出来る。
そして上記のような事が原因で起こるのが
“争い”
である。
これによってどこにでも“争い”の種は転がっているという事がよくわかるだろう。
タグ:争いの種
死との距離…死、とは? [日常に隠れる残酷さ]
僕たちは死ぬために生きている
僕たちは死なないように生きている
死にたいという気持ちは
僕たちのすぐ近くにいつも座っていて
話しかければ答え
あちらからも問いかけてくる
同じ距離感で
生きたいという気持ちもそこに座っている
幸福な気持ちになったと同時に
絶望感も押し寄せてくるように
生きる希望を見つけた時
同様に
死への恐怖も襲ってくる
ひょっとすると対なるモノは実は鏡で
お互いを映し合っているだけなのかもしれない
僕たちはちょうどその真ん中にいて
両方を一度に見る事は出来ない
そんな僕に秋の風は
心地よさと共に
どうしようもない寂しさを運んできた
タグ:秋
夢の必要性 [日常に隠れる残酷さ]
どうか夢見る事を忘れないでいてほしい
無理に夢を叶える必要はない
けれど
どうか夢見る事を忘れないでいてほしい
どうする事も出来ない現実に打ちのめされる事もある
それでも
どうか夢見る事を忘れないでいてほしい
現実だけが全てじゃない
だから
どうか夢見る事を忘れないでいてほしい
現実を見ないでいいと言っているわけじゃない
ただ
どうか夢見る事を忘れないでいてほしい
君が命を絶つ必要なんてない
頼むから
どうか夢見る事を忘れないでいてくれ
タグ:夢
一つの物事に対して、必ず一つ以上の背景が隠されている。 [日常に隠れる残酷さ]
昨夜、某コンビニエンスストアでのひと時。
そこの店舗は海の近くにあるのだが、駐車場は広く、人通りも、車の通りさえも少ない、いかにも“ヤンキー君”達にどうぞ屯していって下さい。と言っているかのような場所だ。
まあ、それはあくまで悪い言い方であって、非常に居心地の良いコンビニエンスストアに“なるはずだった”のだ。しかし残念ながら、ヤンキー君とメガネちゃん、両方の需要を満たしてしまっているのだ。
店員のおばさんも、愛想よく接客してくれた。
この時期にはもうすでコンビニエンスストアから姿を消す、肉まんの機械もここにはある。
肉まんを購入後、車に戻る。目の前にはゴミ箱があり、その1m程右に目をやると、コンビニエンスストアの照明の光に照らされたゴミ達が、3m周囲に散らばっている。
ペットボトル。包み紙。ビニール袋。割り箸。スプーン。フォーク。全く口にしてないつくね串棒。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
何度でも言おう。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
この記事のタイトル、記事本文すべてこの言葉で埋め尽くしてもいいぐらいだと思っている。
一番腹が立ったのは、全く口にしてないつくね串棒。店舗の従業員の人に少しでも見つからないようにしたのか、柱と壁の間の角に隠れるように置いていた。
この“つくね串棒”にもともとあった様々な意味は、購入者によってほとんどが剥ぎ取られたのである。
その“つくね串棒”をまだ見てないであろう従業員の方の接客時の笑顔が同時に見える。
このよくある日常の風景は、一つ一つ別々に見ると違った意味を持つが、合わせて見ると、非常に残酷な一枚の“絵”なのだ。
そこの店舗は海の近くにあるのだが、駐車場は広く、人通りも、車の通りさえも少ない、いかにも“ヤンキー君”達にどうぞ屯していって下さい。と言っているかのような場所だ。
まあ、それはあくまで悪い言い方であって、非常に居心地の良いコンビニエンスストアに“なるはずだった”のだ。しかし残念ながら、ヤンキー君とメガネちゃん、両方の需要を満たしてしまっているのだ。
店員のおばさんも、愛想よく接客してくれた。
この時期にはもうすでコンビニエンスストアから姿を消す、肉まんの機械もここにはある。
肉まんを購入後、車に戻る。目の前にはゴミ箱があり、その1m程右に目をやると、コンビニエンスストアの照明の光に照らされたゴミ達が、3m周囲に散らばっている。
ペットボトル。包み紙。ビニール袋。割り箸。スプーン。フォーク。全く口にしてないつくね串棒。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
何度でも言おう。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
1m先に行けばゴミ箱があるのだ。
この記事のタイトル、記事本文すべてこの言葉で埋め尽くしてもいいぐらいだと思っている。
一番腹が立ったのは、全く口にしてないつくね串棒。店舗の従業員の人に少しでも見つからないようにしたのか、柱と壁の間の角に隠れるように置いていた。
この“つくね串棒”にもともとあった様々な意味は、購入者によってほとんどが剥ぎ取られたのである。
その“つくね串棒”をまだ見てないであろう従業員の方の接客時の笑顔が同時に見える。
このよくある日常の風景は、一つ一つ別々に見ると違った意味を持つが、合わせて見ると、非常に残酷な一枚の“絵”なのだ。
タグ:コンビニエンスストア