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情報の多様化 [無気力について]

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情報化社会のこの世の中。
求めればすぐにでも手に入る情報は非常に軽々しく、本来持ちえたはずの質量を確実に失って電子世界に漂っている。
その中でも一般的に優秀だと言われている情報は、人類の常識とモラルに当てはまるモノがほとんどである。
そして群れる事で安心を得る人類は、その情報に最も単純かつ理解し易い価値をつけた。それが『数』だ。
多いか少ないか、大きいか小さいか、人類が扱っているほとんどの情報の価値がこんなくだらない事で決まってしまっている。
なぜこの事に対して誰も疑問を抱かないのだ。
僕は小さい頃からずっと疑問を抱いていた。

多数決
大衆心理
やたらと高価なブランド物
ランキング
多数派による少数派の迫害

僕は上記のモノに価値を見出している人たちは本当に頭がおかしいのか、それとも悪い冗談でも言っているのかと思っていた。しかし、それは違った。
心の奥底から思っているのだ。

僕はそれを知った時、心の底から頭がおかしくなりそうだった。

今でこそ幾分ましにはなったが、上記の事についての嫌悪感は今もなお続いている。


タグ:価値

精神とパーソナルコンピューターの結合についての危険性 [無気力について]

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物語は現実世界に影響を与えるのだろうか

物語は精神に影響を与えるのだろうか

精神は現実に影響を与えるのだろうか

精神世界と現実世界とを分ける境界線とは何なのか

なぜ人類は物語を作り続けてきたのか

物語はまやかしではないのか

インターネットとは人類にとっての精神の投影なのか

インターネット上の僕は僕ではないのか

インターネット上の僕の友達は僕の友達ではなくて『インターネット上の僕』の友達
でしかないのか

創造物とは自己の精神を表した物なのだろうか

物語が現実になる事はないのだろうか

精神が現実になる事はないのだろうか

飯がまずくなる! [無気力について]

と言ってるのは、誰しもが一度は聴いた事があるとは思うが、そんな事、今までに一度も感じた事がなかった。
というのも、そもそも一般的に言われている“飯がまずくなる!”状況の中で飯を食った事がなかったのだ。というよりそれが当たり前なのだから、この言葉を言った人は、飯を食べている時にそういう状況にさせられた。つまり何者かによる不意打ち。
という事は、僕が飯を食べている間、運よく今まで不意打ちをくらう事なく生きてきたという事である!

しかし、その記録も昨夜、打ち破られる事となった。

某どんぶり屋にて、食事をするために席に着いた。
厨房の前に接客をする従業員の作業スペースがあり、ホールへ出る為の開閉口があり、そこから向かって左側に三つ、右側には二つ、あとはカウンター席で、僕たちは作業スペースから向かって左側の四人席に座った。
“彼等”は作業スペースから向かって右側の四人席二つ、計八つの席を四人で座っていた。男×3、女×1だ。
まあこちらも四人席に二人、荷物を置くスペースもないし、余った席を荷物置きにするのだったらしょうがないな。などと思って見ると―――
一つには靴を脱いだ女の足、もう一つには荷物、残り二つはきれいさっぱり何もないのである。
図で表すと

㊦男 男㊦
   机
  足 荷
㊤男 女㊤
   机
  無 無

↑この図を書いて、日本語の良さを再認識させられた。実に素晴らしい!パーフェクツ!ワンダフル!ビューティフォー!
つまり、四人が席二つ越しに向き合い、女が足を斜め前に投げ出し、だらーんとしているという状況なのだ。
そして、図の上部の男二人は何を思ってか、偉そうにふんぞり返って腕組みをしている。
もう一人の男は大声で厨房の方へ向かって叫んでいる。従業員の人と知り合いらしく、親しげというより、上下関係のようなものさえ感じられる口調だ。
『ねーねー』『まだー?』『注文していい?』『おれ〇〇丼!あ!やっぱ〇〇丼!』
『これアラジンの曲じゃない?』『あ!ホントだ!』『・・・(一同無言で聴き入る)』

なんとも脈絡のない会話。知性のかけらも感じられない、非常に馬鹿馬鹿しい内容の話を大声でわめき散らしている。実にすばらしい!パーフェクツ!ワンダフル!ビューティフォー!(※馬鹿過ぎて)

そして極めつけは、そのような彼らが放つ、チープな威圧感が非常に不快に感じるのだ。
おそらく何をするとかそういう考えもなく、ただ単にそこに人がいるから睨み、威嚇し、縄張りを守っている。たかが某どんぶり屋の二席を。
その光景に僕は、残念な気持ちになり、同時に虚しい気持ちが腹を満たした。そのうち自然と食欲もなくなり、たちまち飯がまずくなっていったのである。

何が彼らをそういう風にしてしまったんだろう。そんな事は考えずとも明確だった。
誰も彼らと正面から関わろうとしないのだ。
お客は顔を逸らし、従業員の人達でさえ臭い物にふたをするかのように、彼らをいない者としている。

この問題は正面から取り組まないといけない事なのだ。
このような出来事は、このどんぶり屋に関わらず、どのような状況においても起きている“問題”であり、日本国の縮図でもあるのだ。

不愉快極まりない。

この事については、引き続き言及していく。

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