夢の中へ オダギリジョ―について [映画]

主演の田中哲司に続きオダギリジョ―は、わき役ながらもこの作品にかなりの印象を残していった。
電車内でのシーンでは、道化師のような立ち振る舞いで感情の起伏が激しく分裂症患者のような演技を見せた。
実家でのシーンでは、今時どこにでもいる実家暮らしで当分出て行きそうもない普通の青年を演じた。
レジスタンスの一員としてのシーンでは、電車内でのシーンでの演技に少し似ているが、言動はかなりまともで血気盛んな一面も見せるが、芯の方では冷徹で残忍な面が根付いている。そういった演技を見せた。
どれも夢の中という事で(結局どれが現実なのかはわからないが)どの役も別人のような演技を見せているのだが、田中哲司についての話でも触れたように、それほど演技の幅が広いのだ。同じ映画で三役をこなすという事は《役者の役》より難しいのは火を見るより明らかである。大抵の役者は似たような役柄だと、必ずと言っていいほど同じような演技になりがちである。さらに酷いと、どの作品に出演しても同じような演技をしている、もしくはそういった役しかもらえない。もちろん彼はそんな事はなく、どの作品においても同じような印象は決して残さない。
もう一度言おう。
どの作品においても同じような印象は決して残さない。
これがどれだけ役者として優秀な事なのか、ぜひ理解してほしい限りである。

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